これで感想文は終わりにしても良いのだが、それではアンマリだから、以下付け足しておこう。
私はこの短篇を映像化して読んだ。
というより、この短篇は( 私には )文章がそのまま自然と映像化してくるのだ。確かに文章をよんでいるのだが、映画を観ているような感覚に、私はなるのだ。
『六の宮の姫君』を読んだときもそうだった。
この場合は溝口健二の『雨月物語』だった。
『お富の貞操』はどんな映画が該当するだろうかと想像してみた。
『お富の貞操』は黒澤明の映画だ。
描写のメリハリの快適さ ( 特に雨の描写はまさに黒澤明の世界だ )。
そして登場人物の性格描写のシンプルさ。
このシンプルサには説明が必要だろう。
ここで言うシンプルさとは、机上の空論のような不毛な映像ではなく、現実的・即物的な映像だということだ。
では『お富の貞操』は黒澤明のどの映画がマッチするだろうか。
『赤ひげ』がよい。
この映画は、いくつかの独立した噺で構成されているから、その中の一篇として短篇『お富の貞操』が挿入できる。ピッタリとあてはまるではないか!
但し、一つだけ条件がある。
『赤ひげ』の原作者は山本周五郎だが、『山本周五郎的人情味』(実は私はこれも大好きなのだが)は、『お富の貞操』には、それは抜きとらなければならない。『お富の貞操』は、もっと乾いた人情噺にする必要がある。
もし本当に『お富の貞操』を『赤ひげ』の一篇にするならば、その点が最も困難な作業だろう。それさえクリアできれば、『お富の貞操』は完璧に黒澤明の映画に変貌できるはずだ。